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騎士団長殺し、イデアとメタファー、日記ブログの昔と今、藤森直子 『ファッキンブルーフィルム』、私が日記を書く理由

村上春樹の『騎士団長殺し』を読み終えた。

 

私は人の書いたレビューを読んでいないので、あくまで自分が感じたことしか書けない。けれど、私にとっては、今回はだいぶわかりやすい作品だった。

村上春樹は現代人が喪ってしまったものを書いている」と、人とも話したことがあるけれど、今回はそれがとてもわかりやすく描かれている気がする。ざっくり言うと、この『騎士団長殺し』は、「イデアやメタファーを信じられる人間」と「そうでない人間(現代人)」の世界を対照的に描いている(と私は感じた)。前者はもちろん「私」や秋月まりえで、後者は免色だ。

物語の初め、主人公の「私」は喪われた人間だった。

けれど、さまざまな体験を通して彼は「イデアやメタファーの可能性」。「言葉では表せないもの」それを取り返したんだと思う。そして、それを次の世代に伝えていきたいのだと思う。ラストシーンで彼が我が子に「騎士団長と本当にいたんだよ」話しかけたように。

今はどうしても「騎士団長」を信じる人間が少なくなってしまったんだろう。

 

私は、日記を書きたくてこのブログを始めた。

ぶっちゃけると、最初はアクセス数狙いで、人にダイレクトな有益さを与えられるような、「私が1週間で5kg痩せた方法5つ」みたいな情報満載ブログにするつもりだったのだけれど(そんなダイエットもしたことないけど)、どうも向かなくて辞めた。

学生時代もこういう日記サイトみたいな、ブログみたいなものは持っていたし、周りも散々やっていた。私はなぜかそういった「人の日記」を見て回るのが大好きで、気に入った人がいれば、その人の日記ページをすべて紙にプリントアウトして(膨大な量だった)、好きなときに読めるようにしていた。

私からすれば「ブログ」という媒体は、あくまであの頃の「日記サイト」の延長のようなものだ。けれど、昨今のブログはすごくプラクティカルなものなんだと思わずにはいられない。いかに人の役に立つものを提供し、注目を集め、ページを見やすくして、PV数を稼ぎ収入に繋げるか。そういうテクニックみたいなのをよく目にした。

実際、私がなにかネット検索したときも、その答えを明確に示してくれるのは誰かが書いたブログだったりする。

ただ、先に述べた通り、私にはそういったものは書けなかった。むしろ、役に立たないようなことしか私は書けない。理由はふたつある。

ひとつは、私が実際、役に立てるようなものを何も持っていないから。

ふたつは、私はいまだあの時代の「日記サイト」の散文達に強く心惹かれ続けているからだ。

 

いまだに読み返してしまう「日記」の中に、藤森直子さんという方が書いた『ファッキンブルーフィルム』という本がある。そうだ、彼女の日記は本として発売されているのだ。

ファッキンブルーフィルム

ファッキンブルーフィルム

 

 これは、バイセクシャルのSM嬢である著者が、彼女の日常や、彼女を取り巻く人達について赤裸々に書き留める、といったものだった。

実のところ、なぜこの人の日記を読み続けてしまうのか、私にもよくわからない。 

彼女の日記を見つけた当時の私は学生だったし、バイセクシャルの目線で語られる人間関係はなかなかにセンセーショナルだったけれど、今はそうでもないはずだ。それこそ似たような内容の日記ブログは沢山あるだろう。一度読んでみれば、それこそ全部プリントアウトしたくなるような日記に出会える可能性もあるだろう。けれど、絶対的に言い切れるのは、私は『ファッキンブルーフィルム』のように執着できる日記とは2度と出会えないということだ。それは、今の日記ブログが廃れているとかって訳ではない。ただ、私が「あの頃のように」は好きになれないというだけだ。そういうことって往々にしてある。たとえば私は漫画の『スラムダンク』が大好きだし、今もたまに読み返すけれど、今現在「あの頃のように」好きという気持ちにはなれない。

 

私が『ファッキンブルーフィルム』の中で特に好きな記事を少し引用したいと思う。それは、藤森直子さんが学生時代を回想したものだ。

彼女はそのとき高校生で、同じクラブの同級生「貴ちゃん」に淡い恋心を抱いていた。「貴ちゃん」は活発なスポーツ少女という印象だが、現在(日記が書かれていた当時)、なんらかの理由で精神に異常をきたしており、病院にいる。 

『十五の春と十七の秋と自転車の後ろ 三月二十日』

───昼過ぎに、貴ちゃんを自転車の後ろに乗せて駅まで送った。徹夜明けの二人はもう眠くて、何も喋らなかった。

抜けるような青空が目に染みるだけだった。十七の秋だった。

何かでへこんだ時、私は眼を閉じてあの秋の日に帰る。

 

この、たった4行の文章を今までどれだけ反芻してきただろう。そして、時には物悲しく、時には励まされただろう。

私とこの文章の関係性に、プラクティカルなものはなにひとつとしてない。けれど、この文章は確実に私の人生を支えてくれたのだ。

それが「イデアやメタファー」なんだと私は思っているし、そういったものを心の底から愛している。

 

あの文章への憧憬があるから、私はこうして日記を書き始めたんだろうなとさえ思う。

とりあえずやってみますか。毎日書き続けることを目標にして。