村上春樹について、アンチハルキスト、私が知らなかったこと

昨日は、村上春樹の『騎士団長殺し』を読んだことを書いた。

思えば「最新作」をタイムリーに読むという読書体験は私の人生で初めてのことだった。なんとなく新しい本って信用できなかったし、「古典こそ最高峰」という考えが根付いているせいもある。その割に読んでないんですけどね、古典。

けれどふと、作品にはその時代時代の流れや事象が少なからず反映されていることを改めて思い知った。

例えば村上春樹地下鉄サリン事件を受けて書き上げた『アフターダーク』があるように、80年代の匂いがする『風の歌を聴け』があるように (実際は80年代の空気なんて知らないのですが)。それで「今」の時代が反映されたものをタイムリーに読めるのは幸福なことかもしれないと思い至ったわけだ。

 

思えば大学生のときは村上春樹って好きじゃなかった。当時付き合っていた彼氏が村上春樹を好きで何冊か持っていたものだから借りて読んだけれど、大半のアンチ村上春樹が感じるように「いけすかない」と感じた。それと同時に、当時の彼氏のこともなんだか見下していた。こんな作品が好きなんて、意味がわからないと。なにもわかっていないと。当時の私は傲慢の極みで、自分の好きなものはなんでも恋人に認めて欲しいし、自分の好きじゃないものはなんでも認めたくなかった。

ただ、数年前に『ノルウェイの森』と『海辺のカフカ』を読んでから、なんとなく自分の中で村上春樹作品への感じ方が変わって、それから何冊かエッセイや短編集も読んだ。相変わらず意味がわからないと感じるときも沢山あるのだけれど、それでも積極的に好意を持てるようになった。『東京奇譚集』なんてものすごく大好きだ。

 

NHKの「現代クローズアップ」で村上春樹特集をやっていたので見ていたら、アンチ村上春樹派として有名な爆笑問題太田光氏と、有名(らしい)レビュアーの男性がそれぞれの見解を吐露していた。双方に共通する点をまとめると「いけすかない」「人間が描けていない」「孤独な人間がブランデー傾けて香りを楽しむかよ」ということになる。

私もかつては主人公に「ビール飲んでフライドポテト摘んでジャズばっかり聴きやがって!」という感想を持っていた人間だから、彼らの言わんとすることはとてもよくわかる。

ただ今考えると、それもずいぶん表象的な考え方だったなあと感じる。

というのも、私達の中にはどうも「理性を失って感情を顕わにすること=人間の本来の姿」みたいなイメージがあるようだ。だから何が起こっても平静(に見える)「僕」が胡散臭くて仕方ないのだ。「僕」のそういったいけすかない言動がまさに、読者が「僕」へ共感を持つことを妨げてしまう。

でも村上春樹のエッセイを読んでいると、彼自身、窮地に立たされても「僕」みたいにやってのけちゃうんじゃないかって気がしますよね。「僕はこういうときでもブランデーを傾けるし、ジャズの音色に身を任せるけど、皆さんは違うんですか?やれやれ」って感じで。

そのために、彼は毎日早寝早起きをする。明るいうちに仕事をし、野菜と魚中心の食事を取り、走ったり泳いだりする。これはすごく納得がいった。ああいう世界観をコンスタントに健康的な精神下で書き出していくって、大変な作業だと思う。私の想像なんかよりもずっと。だから肉体と精神を保つために、徹底的に規則的な生活をしているんだろうと。

 

村上春樹の主人公はなぜこうも女に困らない?」って意見を目にしたことがあるけれど、それはもちろん主人公が女から見て魅力的だからだ。彼らは(だいたいにおいて)派手さはないけれど、清潔感があって、それなりに仕事をして、自分の趣味の世界的なものを持っている。そして、女の突拍子もない話にもきちんと耳を傾け、丁寧に相槌を打ち、ときにはユーモアやウィットに富んだ返しをする。

例えば『騎士団長殺し』上巻269ページ 女性とのこんなやり取り

「そして左手で乳房をもみながら、右手でクリトリスを触っていてほしい」

「右足は何をすればいいのかな? カーステレオの調整くらいはできそうだけど。音楽はトニー・ベネットでかまわないかな?」

こんな男、女が放っておくわけがないのだ。私が男だったら女にモテるため、それだけの目的で村上春樹の全作品を読破するだろう。

 

ただ私は最近、彼の作品の主人公達に対して、そこにある静かな死、そして生きようともがく意志みたいなものをすごく感じる。実際に『騎士団長殺し』の「私」はその傾向がすごく顕著だった。今までの作品にないくらいわかりやすい。静々と痛みに耐えることは辛いことだし、何があっても理性的に生活を送っていくことはある意味すごく人間的だ。生々しいものを生々しく吐露しないという意味で。

「強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ」         ──『風の歌を聴け』             

 

もしも、村上春樹が好きだった当時の彼氏にまた会う機会があるなら、私は彼を馬鹿にしていたことを心から謝りたいと思う。彼はわかっていないんじゃない。むしろ私がわかっていたのだ。私がわからなかったこと。村上春樹の作品達を。遠藤周作の『沈黙』を。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を。