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歩くこと、単純作業、マクドナルドと日曜日の夕方の孤独

今日はすごくいい天気で、少し暑いくらいだった。リュックを背負い、市立図書館まで散歩がてら、てくてく歩いていった。途中、少し道に迷ったり、汗ばんできたりとそれなりに色々あったのに、図書館は在庫点検のため休館だった。はー。

自宅から市立図書館までの道のりは片道5kmある。どうしてこう歩くことが好きなのか自分でもわからない。こんなだから出かけるときはGoogle map で目的地までの距離を測るのが癖になっていて、7kmくらいまでなら徒歩で行こうと即決してしまう。いや、たとえ10kmでも、時間さえ許すなら徒歩で行くかもしれない。

歩くときは常にイヤフォンをしていて、音楽やPodcastを聴くか、または、何か考えごとをしている。逆に、何か聴きたいときや、考えごとをしたいときに歩きに行ったりもする。と考えると、肉体にひたすら規則的な運動をさせつつ、頭を別次元へ「飛ばす」というのが気分転換になるのかなぁ。そういう意味では、工場のライン作業のアルバイトも結構楽しかった。ひたすら決まった数のチョコレートを詰めたり、コーヒーを詰めたりしながら、頭の中ではまったく別のことをずっと考えていた。「単調作業」といわれる分野のアルバイトだけれど、私は考えごとを沢山できたおかげで、仕事が終わったあとはなんだか少しクリエイティブな気持ちにすらなっていた。

とにかく、また徒歩で来た道を引き返して夕方になり、地元の近くでマクドナルドへ入る。図書館で出来なかった勉強をここで少しやってしまおうと思ったのだ。私が店内にいた約2時間の間に、隣の席は3組のお客が入れ替わり立ち替わりした。最初は家族連れ、次は若いカップル、最後は50代くらいの女性。この女性は途中までひとり静かに過ごしていたのだけれど、途中から携帯電話で誰かと話し始めた。

 

「今○○のマクドナルドにいるのよ。奢ってあげるからおいでよ」

 

その声はかすかに掠れて、どことなく甘い。なんだか「奢ってあげるからおいで」って切ない響きの言葉だなぁと思った。でも、そう言いたくなるようなときって、確かにある。どうしても今この時間を誰かと会って話したい、そのためならマクドナルドの代金くらい厭わない、みたいなとき。

30分くらいして、こちらも50代くらいの男性が彼女の向かいに座った。「奢ってあげる」というくらいだから旦那ではないだろうし、恋人なのか、会社の同僚なのか。とにかく女性は嬉しそうだし、この男性なら「じゃあ約束通りビッグマック奢ってもらおうか」とも言わない気がするのでよかったと思う。

けれど、50代の男女が日曜日の夕方、マクドナルドで向かい合って話し合っているのは、なんだか胸がざわめくものがあった。これが飲み屋とかなら意識しないはずなのだけど、なぜだろう。2人が親密そうであればあるほど、マクドナルドの明るい店内が孤独感で満ちていく。

いたたまれなくなって、席を立つ。私はまたイヤフォンをして徒歩で家路に着く。それでいい。私はそうすることが好きなのだ。マクドナルドの孤独から、日曜日の夕方の孤独から、私は歩いて逃げる。