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愛犬を亡くした、犬猫に対する庇護欲、フィリピン留学①

数年前に、愛犬を亡くした。享年18歳で、犬種はミニチュアダックスフント。年をとっても毛並みがよく、可愛い顔をしていて、飼い主側がもう随分な老犬であることを忘れる程若々しい外見をしていた。本人はそれなりに年を取ってしんどい思いもしただろうに、こちらが呑気なもので申し訳なかったという気持ちさえある。何よりも食べることが好きだったこの犬は、最後は何も食べなくなって数日後、眠るように息を引き取った。

家族全員でわんわん泣いた。祖母の葬式では涙を見せなかった父ですら泣いた。

 私は人一倍動物への愛着が強い人間だった(と思う)。たまに動物虐待のニュース等を見ると3日間くらい平気で落ち込んでいて、もう人間でいるのを辞めたくなってしまう。中学生のときは女優のブリジット・バルドーが好きだったこともあって、彼女が傾倒している動物愛護運動に熱を上げていたから、肉の類は一切食べなかった。映画で少しでも動物が痛めつけられるようなシーンがあると、もう2度とその作品は見なかった。私自身、動物のこととなると急に折り合いがつけられなくなる自身の傾向にやや困ってもいた。

フィリピンのセブ島へ2ヶ月程留学をしたことがある。英語を学ぶためだ。寮から学校への間に、土が剥き出しのかなり歩きづらい道があって、そこには屋台がずらっと並んでいた。これは地元の人が毎日朝食を食べたり、夜に酒を飲んだりするまさにローカルな屋台だった。外国人ならちょっと躊躇してしまうような風貌で、毎日なんとも表現しがたい匂いが漂っていた。

その屋台にはいつも野良犬が何匹かいた。客のおこぼれを貰うために彼らは徘徊をする。何匹かで連れ添って、町の中心の公園で小便をし、ある程度満足したらコンビニエンスストアの前でその体を伏せて目を閉じる。

少し離れた島へ友達と泳ぎに出かけたときも、犬達はいた。私達がランチをテーブルで食べている傍で、じっと座っていた。3匹程いたと記憶しているけれど、どの犬も食べ物をねだるような真似はしない。只々、距離を置き、じっとこちらを見ているだけだ。そうしつけられていたのか、彼らがそういう「マナー」を自ずと学んだのかはわからない。こちらが「よしよし」なんて撫でようとすると、彼らは逆に迷惑そうな顔をして身をすくめた。

私は日本生まれの日本育ちなので、いわゆる愛玩犬としての「犬」しか知らない。名前があって、人間を見たら尻尾を振って寄ってくるそういう「犬」だ。小さい頃には「野良犬」というのもいた気がするけれど、最近はめったに見なくなった。

日本を一歩飛び出して見る犬達は、自分の食うための術を知っている野生の生き物だった。

それ以来、なんだか犬猫に対しての過剰な庇護欲が収まった感がある。